こんにちは、自己啓発よねぽんです。
よくその道である程度の実績や成功を収めている人が、その体験なんかを書いた
「自己啓発系ビジネス本」ってありますよね。
「◯◯の生き方」とか「□□になる方法」とか。
あれ、わたしも20代のころはすごい好きで読み漁ってた時期がありました。
30代に入ってからはほとんど読んでませんでしたが先日ひさしぶりに読みました。
ブックオフでたまたま見つけた「本音で生きる」(SB新書/堀江貴文)です。
あー自分って本音で生きてるんだろうか、と思いまして。
書評のつもりでは書きませんが、
とりあえず感想は「こういう本を手にとってる時点でムリだよなー」。
自虐的ですが(笑)
ガチ成功者はそもそも『〇〇しろ』系の本なんか一切読まないでしょ。
読む前に行動してます。
(Amazonのレビューなんかで星5つつけてる人は全員とは言わないが、「読んで満足」してる一定のファン層もいるんじゃないだろうか。あくまで「読み物」として)
じゃあその本のとおりに出来なかったわたしや、これを読んでいるあなたは間違っているのかというと、そうではありません。
それを考えてみました。
「できない理由がある」からできない
上記のホリエモンの本に書かれていた具体例をとって解説します。
本書はタイトル通り周囲がどう思うかなんて気にせず「本音で生きろ」と言ってます。
また、ビジネス系自己啓発本よろしく、
「リスクなしにリターンを得たいなんて虫がよすぎる。世界は全てトレードオフだ」という内容も述べています。
それもわかります。理解できます。
じゃあ理解できているのに、なぜ行動できないのか。
言い訳を探す前に動けとは言いますが、当然ながら「色んなモノをトレードオフで犠牲にしたり、リスクにできること」が前提で、成功者たちは文句なしにそれをやってます。
ただし、リスクという認識はあってもおそらく「犠牲にした」という意識はありません。
ぎせい
【犠牲】
- 一層重要な目的のために、自分の生命や大切なものをささげること。
- 天災など不測の災難によって生命を失うこと。
彼らは「一層重要な目的」のために大事なものを捧げて成功しました。
でも「泣く泣く犠牲にした」ならともかく、
彼らにとって「一層重要な目的」は、だいたい実は何を差し出してもいいから猛烈にやりたかったことにほかならないのです。
例えば家族を持ったサラリーマンが独立したいとします。
一世一代の大博打。家族全員路頭に迷うかもしれない。
そのプロセスで実際に実行するまでに家族の理解をなんとか得ようと努力したものの
叶わなかった場合どうするのか。
1)家族のいうとおりに諦める
2)家族を無視して勝手に始める
のどちらかになります。
つまり
1)家族のいうとおりに諦めた人は、現状維持のほうが大事だっただけ
2)家族を無視して会社辞めて独立した人は、家族より独立が大事だっただけ
ということです。
いろいろ「犠牲」にしてきている、というと聞こえはいですが
犠牲というよりは二者択一といったほうが正しい。
両天秤にかけて、けっきょく選んだほうが大事だっただけです。
だから本の中でもアドラー心理学をとりあげて
本当は「やりたくない」から「できない理由」を探していると言ってますが
それは真実なんです。
やりたくない事実を認めないほうがダサい
成功者たちの「やりたい、やりたいとは言うくせにできない理由を後付けにするのダサい」
的な論調、正直言ってムカつきません?
あれは何をダサいと言っているのか知ってますか?
結果的にやらない選択肢をとったことをダサいと言っているのではなく
やりたくない事実をいつまでも認めず、ウダウダとできない理由として垂れ流すのがダサいと言っているのです。
例えば「独立したい、でも家族がいるからできない」と悩んでいる人は
まずは、本当は自分が独立「したくない」ことを認めてあげるべき。
その選択肢を取った自分に「よく考えたね」と褒めてあげてください。
前述どおり、本当にやりたい人はもうとっくの昔に始めているので
アドラー心理学が示すように、やりたくない事実をまず認めることです。
「やりたくない」はただの価値観の現れにすぎず、良いも悪いもありませんので、自分を貶める必要もありません。
単に独立はしたくなかったという事実があるだけです。
認めてしまえばあとは「その選択肢を選んだ未来」を全力で生きればいい。
選んだなかでできることはないだろうか。
独立はムリでも、副業から始めたらどうだろうか。
「やりたくない自分」としっかり向き合って、認めることができたら次こそ心から本当にやりたことが出てくるかもしれません。
正しい選択肢とは後悔しない選択肢です。