こんにちは、よねぽん(@yonekurakei)です。
あなたは今、胸を張って幸せな人生を生きている!と言えますか?
そんな人はかなり少ないと思いますが。。。w
クソみたいな人生だよ、という人に読んでほしい。
古賀史健さんと岸見一郎さんの「嫌われる勇気」を読んで、気づきを得ました。
で、これ読んでさー今日から幸せになれるぜ!今からいかにも前向きなこと書いてくよ!って感じですけど
実は今でも全然そんなことないです。
実践中ですが、本の中でも今まで生きてきた半分くらいは時間かかると書かれてます。
むしろ少しでも油断したら不幸のヤツがマドハンド(ドラクエのモンスター)みたいに
不幸の淵へ引きずり込もうとしてるんですから。
それでも少しくらいは役に立てるかと思いますので少しずつブログにしていきます。
不幸を他人のせいにし続けるとマジでそのまま人生終わる
この本は今まさに自分は不幸や!辛い!苦しい!という人にむけて
アドラー心理学の考え方で誰でも幸せになれるよ!ということが書かれてます。
念の為ですが不幸感通り越してすでに鬱病ってこともあるかもしれませんが、そういう人向けに書かれてはいません。
私は精神科医ではないので、「つらい。なんとかならんかコレ…」といった感じで自分の現状が客観視できる段階の人に向けて書いています。
わたしは軽度のADHDの傾向があり、親もまたその個性を受け止めてくれない、いわゆる毒親だったことも人生観に大いに影響しまくってると思ってます。
でもこの本を読んで、その考えに取り憑かれていつの間にかその2つを出来ない言い訳にしてきたことに気がついたのです。
それがダメってわけではないんですよ、
でもその考えにいつまでも固執しつづけてると、本当にそのまま人生終わってしまいます。
不幸の底から脱出する手順。
1.まずは自分を労う
クソクズの親のもとに生まれて運が悪かった。テメーは生まれる意味もなかったんだよ。
と、自分のことを嘆きたいならとことん嘆いてください。
あるいは話を否定せず耳を傾けてくれる人に聞いてもらってもいいです。
誰のせいにしたっていいです。頑張ったな昔の自分、よく耐えた!という感じでひたすら自分を労い褒めまくる。
しっかりと今まで必死に生きてきた自分をまずは受け止めてあげることが大事。
ノートに書きなぐってもいい。カラオケボックスで叫んだっていい。
自分がまず認めなきゃだれが認めるの?自分のことを一番わかっているのは自分なんですよ。
自分が自分に褒められた!認めることができた!ときは自然と涙がでます。
私は5年くらいツイッターに垂れ流してきたので、さんざんTL汚してしまいましたが。。。
でもですね、
そこからいつかは脱出しないと本当にそのまま人生終わってしまいます。大事なことなので2回言いました。
2.不幸を認める
自分が不幸である理由をまず認めましょう。
たとえばわたしなら、自分の親がクズだったこと、そして自分もクズから生まれたクズのDNAを持った人間だということは紛れもない事実で、その事実は絶対変わりません。
「○○のせいで不幸だ」「なんでこんな親のもとに生まれたんだ」と嘆いても
残念ながら過去は変えられなし、現実も変わりません。
そして出自が違うとスタートラインから違うことも残酷ですがまた事実です。
頭ではわかってるんですよね。でも事あるごとに、自分以外の何かのせいにしてしまいます。
それぞれタイミングがあるので、いつがいいとは言えません。
でも、過去の呪縛から逃れるのは今だろうがもう少し先だろうが誰も変えてはくれません。
過去と決別するのも、その決意をするのも自分しかない、ということは頭に留めておいてください。
わたしの場合なんかよりも、もっともっと親がどうしようもないとか、虐待とかっていう人はむちゃくちゃいると思うので
その期間は年単位必要になると思いますが、いつか自分の手で終わらせなければ永遠に今のままです。
今すぐじゃなくて全然いいけど、いつかどっかで区切りを。区切るのはあなた自身です。
わたしでさえ、はっきり意識し始めてから回復してきたと感じるまで5年です。
それも、何月何日に終わったとかではなくて、今でもまだ続いてる感じはします。
事実を認めることができて初めて今の問題を打開できる
さんざん泣いて、嘆いて、わめいて、
疲れて、寝て、また泣いて、、、
その繰り返しでどこかでやっと同じ血が流れているという
事実を認めることができたとき、初めて「自分の置かれた状況を客観視でき、それを打開する策」を練ることができます。
自分を心ゆくまで慰めることが出来て初めて次のステップにうつる準備ができるのです。
そのときがそのタイミングで、今ようやく自分にもその時が来たかもしれないと思っています。
それでも未だに自分が嫌いになることがある
うちのダンナも色々問題を持ってる人なので(詳しくは心の病気になりそうな人が頑張っても周りの人は責任持ってくれない)、時として「どうしてわたしばかり、こんなにお金のことを考えなければならないのか?」と悩むことがあります。
そんなとき、ダンナのことを色々思っているようでやっぱり甲斐性なしだと思っているのではないか?
結局自分はお金が欲しいんだ、金持ちの人と結婚して、不自由なく暮らしたいと願う、クズの子はやっぱりクズなのだと、そう思ってしまう自分のことが悔しくて、腹立たしくて、泣いたりします。
現実は現実として受け止めつつも、なにかのきっかけでタガが外れることも度々あるのですが
それもまた現実なのですよね。
自分の準備がととのえば人のアドバイスも届くようになるし、こういうブログも読んでみたくなります。もしここに書いてあることが少しでも心に響いたら、コメントいただけると嬉しいです。