どうも米倉恵@yonekurakeiです
「自分って流されて生きてるな」「自分の考えって何なんだろう」
そんなふうに思ったことはありませんか。わたしはむちゃくちゃあります。
今まで人生のあらゆるシーンでそういうことがあったんですが、あるエピソードを紹介します。
とにかく受け身で考える余地なく口に出す
たとえば「熱中症で救急搬送された人が一万人近くいる」という情報だけがあるとき、何を考えますか?
わたしがスマホのニュースアプリの表題だけを見て「今日、熱中症で救急搬送された人、1万人近くもいたんだってよ」と旦那に教えたところ、旦那からは意外な答えが。
「一日で1万人?日本全国だとしてもそんな台数の救急車が動くとか考えられなくない?」
わたし「えーでもそう書いてあるし。1万台くらいあるんじゃないの?救急車」
あとでよくよくそのニュースを読んでみると、一日ではなく一週間の人数でした。
わたしは「熱中症で搬送された人が一万人」という情報をそのまま鵜呑みにし、更にそれが一日の人数だと勝手に決めてしまっていたのです。
自分で考え判断するのに十分な判断材料があるか
勝手に決めてしまうのは私の悪いクセですが、「熱中症で搬送された人が一万人」という情報があったとき、その情報で最も重要なのはどの部分か?
人数ですよね。
で、それが多いか少ないかは、単純に「一万人」という部分だけでは判断できないはずなのです。
さっきも書いたように一日で一万人か、一週間で一万人かでずいぶん違います。
で、自分の基準というか、考えることができるひとにとって「一万人」というのは単なる数字であり、
多いか少ないかを判断するには情報不足だ、だから「一日で一万人?多すぎない?」という、救急車でも対応できなさそうな異常な数字に敏感に反応したのです。
ちなみに平成27年のデータですが「救急自動車」の消防本部保有台数は6100台あまり。
なので、わたしの主張した「一日一万人」だと「救急車が足らない」と大騒動になってもおかしくないことになります。(総務省消防庁のデータより)
わたしは「物事を判断する」ことや「自分で考える」部分が極端に弱いので
おそらく、「一万人」の部分だけで多いという判断をしてしまったのだと思います。
自分の頭で考えることができない原因
発達障害の一種であるアスペルガー症候群にはいくつかの型があり、その一つが受動型といわれるのでその影響もあるかもしれませんが、ここではそれは抜きにして考えてみます
気がつけば親がなんでも先回りしていた
過干渉な親だったので、気がつけばなんでも「アレダメ、コレしろ」といったように自分で考えて選択する余地がなかったことがあげられます。自分でやったという達成感を味わった記憶がありません。
とにかく「親や先生の言う通り」にすることに一生懸命だった
小学校四年生のときの担任の先生は小学校の6年間で一番厳しい先生でしたが、すでに「自分で考えず何でも先生にやりかたを聞いてそのとおりにする子ども」だったわたしは、あるときこの先生に「自分で考えなさい!」とピシャリと言われたことを今でも覚えています。
そのときはびっくりしてしまっただけで、自分のなにがいけなかったのか知るよしもありませんでした。
「親や先生の言う通り」にすることが自分の居場所を確認する手段だったのだと思います。
いうことを聞いていれば大人の機嫌を損ねることはありません。そうした反応を得てやっと居場所があると思えるのです。
健全な子どもであれば、わがままを通して言うことを聞かないくらいでちょうどよいのでしょう。「自分は意見を主張しても最終的には受け入れてもらえる存在なのだ」という安心があるからです。
2つの理由がともに大人のせいになってるところが気になったんですが
これ以上は考えられる理由がどうしても出ません。出たら追記します。
自分の頭で考えられるようになるには
難しい課題で、答えがでていません。とりあえず「情報は鵜呑みにしない」ところから始めようと思っていますが。。。
また、社会派ブロガーとして有名なちきりんさん著の「自分のアタマで考えよう」も読んでみようと思います。
今日は以上です、こういう悩みを抱えてる人と何か共有できればなと思います。