自分らしさってなんだろう。
個性ってなんだろう。
誰しも一回は考えたことがあるんじゃなかろうか。
とくに若い頃ほど考えると思うし、就職間近の学生なら自己分析シートなんてものを記入するときに考えたかもしれない。
もしこの問いに人生の先輩であるわたしが答えるとしたら、
「自分らしさ」とは何かに夢中になって一生懸命生きてたら自然と滲み出すものなのだろう、と思う。
ちなみにわたしは人生の先輩かもしれないけど、いまだに「自分らしさ」を見いだせてないアラフォーのおばさんです。
そんな人のいうことはイマイチ信じられないかもしれない。
ところが、皮肉なもので「自分らしい」生き方をしている人は、そもそも自分が自分らしいかなど考えません。
すでに自分らしく生きていて、それが自分の中の常識になっていれば疑問に思うはずもないし、質問の意味さえ理解できないかも。
わたしはこの記事を書いている年、新元号に変わる記念すべき2019年5月1日に40歳になる。
我ながらオッサン・オバサンになってまで自分らしさについて語るのもまあまあイタイよな、とは思う。
けれど今からでも「自分らしく」生きられる方法があるならそれに越したことはないし、
それを考えることでいま「自分らしさ」を追い求めている若い人にも少しは役に立てるかもしれない。
「自分らしさ」は若いほど習得しやすい
自分らしさって何だ?
自分らしさというと「個性」とか「オリジナリティ」とも言われる。あるいは「他にない、自分だけの特徴」とか「自分を象徴するもの」とか、アイデンティティ的なことをいう。
ぶっちゃけ、簡単には解決しない
この記事を見つけてくれたということは、自分らしさを見失っている自覚があってその喪失感を埋めたい想いから訪問してくれたのだと思う。
でも、期待を裏切るようなことを言ってしまうけど実際のところそんなに簡単に解決する問題じゃない。
それは薄々感づいてたんじゃないかな。
若いほど挽回のチャンスはある
けど、全く希望がないわけじゃない。
自分らしさというのは、若ければ若いほど習得しやすい(本来「習得」するものでもないと思うけど)。
できれば小さな子どものころから意思を尊重してくれる大人が周りにいる環境が望ましいけれど、そうでない人も多いだろう。
若いうちは縛るものが少ない。結婚すれば、自分の人生は自分だけのものではなくなる。
結婚しなくても、それなりに生きてくると悪い意味で怠慢になるし、生きること自体にめんどくささを覚えてくるからだ。
よく、挑戦するのに年齢なんて関係ない、という。
それは真実だと思うし、歳を重ねていても次々と新しいことに挑戦し続ける人もいる。
でも多くの人は凡人だ。このブログにたどりついた以上、きみもたぶん凡人だと思う。
いや、もしかしたら、今までの私のように
「本当は(自分らしさも見つけられない)凡人なのに、なにか特別な人間」
に思っているかもしれない。
だからこそ、凡人なりの対処をするのに「若さ」は大事な要素になる。
経験を積むことは、自分の中に自分の取説をつくること
小さな子どもからは、あれこれと過保護にしたり先回りして、自分で課題を解決する機会を奪ってはいけない。
自分で考える機会をもらえない、ということは即、年齢に応じた経験を積めないということを意味する。
思春期、青年期、学生、社会人になっても同じ。
もうきみは小さな子どもじゃない。どんなことだって、やろうと思えばできるはず。
とにかくなんでもいいから経験を積んでほしい。
つまらない結論にたどり着いたけど、それが動かしがたい真実だということを知ってほしい。
アラフォーでそれを知るよりはラッキーだと思うよ。
どうしてかというと、「その人らしさ」はチャレンジしたり、失敗したり成功したりといった様々な経験によって少しずつ醸成されていくからだ。
それに経験が多いと、社会全体に対して自分の立ち位置が明快になってくる。いろいろな経験を通して、相対的に自分のことがわかってくるのだ。
これは好きだけど、あれは嫌い。これは得意だけど、あれはニガテ。自分の趣味趣向がわかってくる。
だんだんと自分の取説みたいなのができてきて、背伸びする必要なく、自分の守備範囲の中で高いパフォーマンスをすればよいのだと理解できてくる。
自分に過剰な期待をしないからこそ、一生懸命生きようとする
経験を積むことは身の程を知る、とも言える。
自分はこのくらいの事ならできる。そんな事はとてもじゃないができない…豊富な経験を通して身の程を知った人は強いよ。
「自分はこういう人間だ」とわかっていれば「そんな自分がどうすればこの社会で生きていけるか」という作戦が立てやすいよね。
自分に過剰な期待はしないし、自分は特別じゃないと認めるからこそ課題がはっきりして、努力もできる。
やがて自分ができる範囲の、決して背伸びしないけど得意だということで社会の役に立つ。
それが冒頭で述べた「自分らしさとは一生懸命生きてたら自然と滲み出すもの」につながっていく。
もしきみがアラフォーだったら、「一生懸命生きる」ことはできる?
問題はもう決して若いとは言えない歳の人がこの課題にどう向かうか。
若くないというのは厄介で、体力的なもの以上に気力が失われるし図太くなる。パートナーがいるから、子どもがいるから、お金がないから…と、何かと理由付けをして行動しなくなる。
すでに述べたとおり答えは出ているけどできないのだ。
それができる人は間違いなくすばらしいし、世の中には、年をとっても関係ないっていう論調が溢れている。
でも、ほとんどの人はそれができないから凡人なわけ。
失敗・成功あらゆる体験がとても少なくて、 人生の節目節目で判断を誤り、自分がいまだに何者にもなれないでいる。
今からいろんな経験を積んだところで若い頃のスポンジのような吸収力と40年近くの出遅れは周回遅れもいいところで、現実的じゃないと感じざるをえない。
今できる対処法はそれすら認めてしまうことかもしれない。
まとめ…そんな歳のとり方をしたくないなら、とにかく経験してほしい
経験の浅い自分だからブログで何を言っても伝わらないかもしれない。でも少なくともこれを読んでるきみよりは長く生きてるから伝えたいことがある。
とにかくたくさん。これでもかッていうくらい、不必要に思えることでも、なんでも、がむしゃらに経験してほしい。そこには自分すら知らない自分が待っている。
20歳までの生き方が、その後の60年の生き方を左右するんだよ??
その60年、自分らしさなんてことを考える暇もないような「生きてる」実感をもって生きたいと思うでしょ?
新しい自分の発見につながるチャンスをみすみす失って、長い人生、生きている実感もなしに抜け殻みたいに生きたくないなら。
恐れることはない、若いほど失うものはない。
なんでも自由に、自分の判断でできるうちに、自分の可能性を探す旅へ出てほしいと切に思う。
いずれ年をとり若い世代と価値観がずれてきたとき、年配者に残るのは経験だけ。
— ポンコツ夫のポンコツな嫁@WEBLOG (@neutral_my_mind) 2019年1月14日
だから若い人には経験してほしい。どんなことでも良いから。
そしたら多様性を認める価値観が育って、年とっても若い感覚についていける
経験のない年寄りなんてそれこそお荷物にしかならないよ。#成人の日