ポンコツ夫のポンコツな嫁

人間としてポンコツな嫁(とその夫)がなんとか生きていくさまを綴ったブログ

「お金があれば幸せ」?貧乏人の視点から考えてみた

こんにちは米倉恵@yonekurakeiです

 

 

“「お金があれば幸せ」とは限らない”

この真実にまだ気がついていない人、本当に多いです。

 

 

この記事は主に

  • 生まれたときから貧乏で
  • 自分も今貧乏で
  • 毒親持ちで
  • お金があれば幸せになれるはずだ!と思っている

 

そんな人(つまり私に!w)に向けて書いていますので同じような経験をされた人なら少しくらいは参考になるかと思います。

 

成功者が自殺する理由

絶望する女性

最近こんなツイートがバズっていました。

反響が大きかったのか有名ブロガーさんたちも次々リツイートしていましたね。

 

経験上、じぶんの周りのお金持ってる人って「お金は十分にあるはずなのに幸せじゃなさそう」な人が多いんです

 

少し前にファッションデザイナーのケイト・スペードさんもご自分で命を絶たれてしまいましたね。

 

元記事のR25では脳内物質を切り口に説明してますが

母子家庭で基本貧乏で唯一の肉親だった母親が、いわゆる“毒親”だったわたし的には、その思考にたどり着いてしまう原因の一つに生まれ育った環境があると思うんですよね。

そこいら辺りをちょっと掘り下げたいと思います。

 

根っからの貧乏はお金の使い方を知らない

お金がない!貧乏!

まず「お金は道具」とはよく聞きますが、道具と認識するにはそれが生まれたときからたくさんある、つまりお金持ちであることが前提です。

 

うちの実家は少なくとも祖母の代からのガチ貧乏で母自身もお金の使い方を知らない人だったのではないかと思います(過去形なのは、今はほぼ音信不通だからです(^_^;))。

元々満たされていないものを埋めようとしている

たまたま母の経営していた喫茶店がバブルの恩恵で成功し、母は高級セダンに乗っていましたね。母自身も貧乏コンプレックスがひどく、また母の母(つまり祖母)も聞く限りでは猛毒親でした。

こうした環境では、愛着障害(ありのままの自分でいることを、本来愛されるべき親に認めてもらえないこと。あるいは、そのまま大人になること。)があるゆえにその埋め合わせを物であったり、お金であったり、恋人、買い物、タバコ、お酒、ギャンブル、性、といったものに依存するようになります。自分自身が認められてないので、自分以外のもので自分の存在=アイデンティティを保とうとしているんです。

それがひどくなり、生活に影響をおよぼすようになるのがいわゆる依存症です。

 

当時はたとえパチンコで一晩で5万負けても次の日に商売すれば取り返せると思っていたそうです。

そもそもお金持ちはパチンコなどという搾取の代表みたいな娯楽をやるはずないんですよね。なぜなら正しい金の使い方を見て育っているから。もっといえばお金に困らない環境でお金の使い方も含めて帝王学を学んでいるからです。

お金持ちが寄付や慈善活動をする理由

貧乏人は今日のおまんま確保でいっぱいいっぱいなわけですよね。

それに対し、さっきのR25の記事では、お金持ちがボランティアや寄付活動をするのは要するに

“お金を稼いで豊かな生活を手に入れる」という山を登りきってしまったのでボランティアや寄付活動といった「次の山」を登ろうとしている”

というわけです。人のためにつくす、人の役に立つというのは何物にも替えがたい幸福感を与えてくれると同時に回り回ってお金となって返ってくる。正のスパイラルですね。

もちろん税金対策もありますが有名な大企業はだいたい慈善活動とか寄付とかやってますし、お金持ちが他人のために惜しみなくお金を使うのは、変な言い方をすると、いくつもの山を登りきってしまった彼らはそうしないと精神が崩壊するからという理由もあるはずです。

参考サイト:イケハヤが若手ブロガーを応援する、シンプルで合理的な理由。

 

貧乏だと自分のことで手一杯だから寄付なんてできません。お金がないならボランティア等でもいいですがボランティアは基本、自分のことはすべて自前で賄うことが前提です。交通費や食事などはけっこうかかるはずです。

「他人のために役に立つ」ことが唯一幸せになる手段だとしたら、幸せになるにはまず貧乏を脱出しなければいけなんですが脱出したところで、金の使い方を知っているわけではない。そうした親からは(少なくとも金については)そのレベルの学びしかない。まさに負のスパイラルなのです。

山口県で行方不明の2才児を発見した尾畠さんがスゴイ理由

山口県で行方不明になった2才児を発見した尾畠さん。

普通の家庭出身で寄付や慈善活動を継続し、人に喜ばれ、自分に返ってくるまでには相当お金を回さないといないことを考えるとすごいことなんです。

失礼を承知で書きますが、一般的には魚屋で裕福というイメージはあまりないですよね。ところが定年まで魚屋をしていたという尾畠さんがこんなことが出来るのは、本当に聖人レベルの人格者としか言いようがありません。

貧乏でも親がまっとうな人間なら尾畠さんのような生き方もおのずとできるということでしょう。ボランティアとか慈善活動というのはある意味自分の喜びのためにする面があります。人のために役立つ喜びをいったん知ると、身銭を切ってもそうしたくなるのだろうと思います。

金があれば精神的に余裕がでる

金があれば精神的にも余裕がでるので、親自身のライフスタイルも余裕があるものになりやすいし、金を発端にギスギスすることも少ないでしょう。なんと言っても子どもにとって一番の安心は「両親がいつもニコニコしてる」なんですよ。親の慢性的なやり場のないイライラは確実に子どもに影響します。

※もちろんお金持ちの家でも愛着障害がないのが大前提です。裕福な家庭でも親の生き方を押し付けるような子どもを親の所有物と見るような家庭環境では、たとえどんな億万長者でも不幸です。

 

お金もそう。高級セダンもそう。パチンコもそう。

このように親の愛情を受けられなかった…つまり自分の存在を認めてもらえず大人になると、他のもので埋め合わせをして精神バランスを取ろうとするんですよね。たぶんその個体が生命を維持するための防衛反応なんではないかと。

東大の子どもを持つ家庭の半数が年収950万以上(外部リンク)という調査結果は有名ですがそういうことだったのです。

 

 

「安いから」といっていらないものを買った覚えはありませんか?

安い服をバーゲンで買う

では生まれたときから裕福な家庭で育った人はどうなのか?

少なくとも「欲しいものは欲しいと思った時にいつでも手に入る」ので、モノに執着がないんです。

バーゲンだから、安いからといって要らないものまで買ってしまった覚え、ありませんか?裕福なら安いからという理由ではなく、欲しいから買う。これがお金持ちが無駄遣いをしない、ケチだと言われる理由ですね。

そしてさっき書いたように、お金の使い所をわかっているので無駄なところには一切使おうとしません。

それに対し貧乏だと「お金が手に入ったらあれがほしい、これがほしい」状態がデフォルト。さらに今までずっと抑圧されつづけ、なんとも言いようのない怨念のようなどろどろした怒りと悲しみを持っているので、いざ大金が手に入ると自分の身分の背丈に合わない買い物を次々してしまう傾向にあります。

宝くじで何億とか当たったら人生がおかしくなると言われるのもこれですね。

 

まとめ

お金持ちでも不幸に感じる理由を家庭環境から説明してきました。

ここまで読んでわかったと思いますが、

「お金を手に入れても幸せになれない」のは使い方を間違えるから

ということです。さらに使い方を間違えるのは大体自己肯定感をモノでしか満たせない人です。

もちろんR25の記事内でも書かれているように、むちゃくちゃお金持ちは孤独になるそうなんですが、まあ私の立場ではよくわかりませんので(笑)今回はもし私(と、あなた?)が大金を手に入れた場合の視点から考えてみました。何かの参考になれば幸いです。