こんにちは、米倉恵のポンコツブログへようこそ。
略してよねぽんです(笑)
軽度発達障害(ADHD)の症状のひとつに、新規追求性の強さがあります。
私はこの傾向が強く、それだけでも今までの人生で損。大損。
定型発達の人と比べたらそれだけで周回遅れ。
普段はこんな感じですが、実は新奇追求性は味方にもなりうるのですよ。
それを説明したいと思います。
好奇心旺盛だが飽きっぽい性格は武器になる
例えば洗濯機の水を溜めている時間を使って、ブロッコリーを茹でるために鍋に火をかけます。
タブレットがあればレシピが見れて便利だな〜とふと思いついたら、今度はその場でスマホで「iPad」を検索します。
iPadの検索結果の画面にバナーが出てきました。普段からガジェットは検索するのでガジェット系のバナーが多いです。
そうすると今度はそちらへ興味が移り、また検索します。
そのうち最初にしていた事を忘れて、洗濯機の水は満杯のまま水が流れ続けている…
日常茶飯事ですね。はい。
それに対して、いろいろなことに臆せず果敢に挑戦できるという長所も持ち合わせています。
人はどちらかというと安定を求めますが、その反対で冒険好きなので、その先で新しい出会いや発見をすることも期待できます。
新奇追求性は諸刃のつるぎなのです。
好奇心旺盛だが飽きっぽい
ADHDの患者には新奇追求傾向、新奇探索傾向と独創性が見られます。新奇探求傾向、新奇探索傾向とは、簡単に言うと新しいことを探す好奇心の塊のようなものです。 ADHDの患者は基本的に飽きっぽく、退屈に耐えるのが苦手です。古くからある決められたやり方や手順を嫌い、常に新しいこと、熱中できることを好奇心の赴くまま探します。 ですから、ADHDの人たちはいつも楽しいことを探し、「退屈な人生には生きる意味がない」「波乱万丈こそ本当に楽しい人生」などと思っています。自分の好奇心の向くところが危険なことであってもそんなことはお構いなしです。 退屈とは無縁のバンジージャンプや、リスクの高い投資、不倫、ロッククライミング、ギャンブルなど、危険度の高い挑戦に喜んで飛び込んでゆきます。 ADHDの人は自分の興味や関心のない事柄に対しては覚醒レベルが低下してボーッとなってしまうので、自ら脳を刺激し、覚醒させるためにこうしたスリルに走るのではないかと考えられています。 同様の理由でADHDの人はコーヒー、たばこ、覚せい剤などの刺激物に依存しやすいと言われています。 (「心の病気について考えよう」https://kokoromasic.com/curiosityより)
なので、飽きっぽいのは事実として認めつつ、好奇心旺盛な長所をのばす工夫が必要になります。
少しでも興味を持ったことはすぐ試してみる
新奇追求性というよりは、二次障害の買い物依存の傾向が出ているのかもしれませんが、
たとえば本などは今まで買うのを躊躇していましたが
いまは少しでも気になったらなるべく買ったり、借りたりするように心がけています。
それで仮にすぐ飽きて、放ってしまっても構わないですよ。
たまたまあなたに合わなかっただけです。次に興味のあることをやってみましょう。
新規追求性は味方だし、あなたの長所です。
なるべく、若いうちにいろんなことをとにかく経験してほしい。
…というとすごくフツーのアドバイスですが。
「気が多いことは悪いことじゃない」と自分に暗示をかけるくらい言い聞かせて。
ありがたいことに飽きっぽい反面、ADHDの人は興味のあることはどれだけやっていても苦になりません。
なのでそれが見つかるまでひたすらトライするしかないんです。
これだったら続けられるかも、というものにひたすら挑戦し続ける。
ほとんどが続かないと思います。だって興味のないものはすぐ飽きてしまうから。
でも、やってみないとわからないのも事実なんですよ。
ピカソとかエジソンとかも発達障害者だったといいますが、
彼らの私生活はだらしなかったり女遊びがひどかったり。そりゃあもう凄かったそうです。いわゆる破天荒っていう。
彼らが大成したのは類まれなる才能はもちろんなのですが
「寝食を忘れるほど」興味を持てるものを早くから見つけたのもあったのではないかと思います。
いくら発達障害でも彼らのような才能を持ち合わせている人はほとんどいないでしょう。
「どこで使うんだ?」って感じの才能とか。
わたしもそうなんですよね。美術の成績が良かったけど、市の展覧会に出展しても佳作以上が取れませんでしたし
「モノのサイズ感が直感でわかる」のも、なんとも中途半端。。。
だから。
いろいろ挑戦するしかないです。失敗したって、命まではとられないでしょう。
悩んでる仲間はたくさんいます。励まし合いながらやっていきたいなあと思います。