ポンコツ夫のポンコツな嫁

人間としてポンコツな嫁(とその夫)がなんとか生きていくさまを綴ったブログ

幸せでいられるのは、やっぱり“ありのままの自分”。

ポンコツ夫のポンコツな嫁@neutral_my_mind です。

 

今日のテーマは「アナと雪の女王」の主題歌のアレです

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「ありの〜ままの〜」ってやつ。(怖いからモザイクかけた)

 

この映画でなくてもディズニーとかピクサー系映画はやたら「自分を大事に」「そのままの自分が一番ステキ」みたいなメッセージが込められたタイトルが多い気がするんですが、

(すいません殆ど見たこと無い)

 

それを観たからといってそう簡単に毒親の毒は抜けねえし発達障害が治るわけじゃないし自己肯定感上がらないからな

 

…っといきなり現実を突きつけてしまいましたが(汗)

 

まあ実際そうなんですよね。そんな映画一本観て治るほど甘っちょろいもんではない。

 

とはいえ、折り合いをつけて上手くやっていくことは今後の人生をラクに生きるには欠かすことはできません。

 

というわけで「ありのままの自分でいればラクになる」ということを書きたいと思います

 

  • なんかいつも無理してる
  • 生きてるって実感がない
  • 本当の自分じゃない気がする
  • どこかでいつも努力なしに「自分はいつか大きなことをしでかす」と思っている

 

そんな人に読んでもらえたら少しは参考になると思います(^^)

 親の期待に応えようと、現実の自分を見なかった 

 

わたしは物心ついたころから、「自分は大学へ進学して、いい会社に入って、バリバリデキるキャリアウーマンになって、お金を稼ぐんだ!」と思っていました。

 

その背景には、親からそうした要求を暗に受け続けていたことがあります。 

 

お勉強はできましたがその一方でお絵かきがすごく好きでした。本当はこちらが好きだったんですよね、いま思うと。

 

市の作品展に三年連続で佳作に入賞したんですがうちの親はそれを褒めるどころか「佳作専門www」とバカにする始末。

その才能には早々にフタをしていた気がします。

 

けれどなまじ勉強が出来たために、親の期待にこたえなければいけないと、あたかも自分で選んだかのように進学校へ進みました。

 

 

「自分以外の人」になろうとするほど辛くて苦しい

「バリバリデキるキャリアウーマン」の幻想

20代前半ごろまでは、抱いていました。少なくとも。

新卒で入った会社は3ヶ月で辞めました。自分には向いてないことを無理にやろうとしていたんです。

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その後仕事は、向いていると思われるグラフィックデザインの仕事を続けています。仕事のクオリティはともかく、15年やっているのでまあ向いているんだとは思います。

 

しかしこの仕事も感性だけでできるほど甘くはありません。

 

まだこころの中では自分はまだ何かやってのけるのではないかと思っているので、グラフィックデザイナーとしての努力は怠ってきました。感性だけでなんとかやっているようなものです。

 

自分が大した才能もないことを認められないまま、努力なしに夢を見続けます。

人より優れていることを常に確認したいので、知らないことをさも知っているかのように振る舞います。

 

 

「バリバリ稼ぐプロブロガー」の幻想

いい年になって、ようやく最近それが変だということに気が付きました。

 

きっかけはブログを書くようになったこと。

 

いわゆるプロブロガーとかインフルエンサーなどと言われる人たちと自分を重ねて見るようになっていました。

 

 

けれども、具体的な努力もせず夢ばかり見ることは変わりません。

次第に「わたしは何を目指しているのか?」と思うように。

 

わたしは何にになりたいのか?それになることで幸せになれるのか?

 

原因不明の精神的辛さや苦しみの正体は、

「“なれるはずのない他人”になろうと無駄な夢を見続けていた」ことに尽きます。

 

生まれも育ちも与えられた能力も、すべてが違う他人になろうとしていた。ないものを永遠に探し回るゾンビみたいに理想を追い求めていたのです。

 

それが、ある日旦那にいわれたとある一言がきっかけで、ちょっとだけ正しい方向に修正されました。

 

詳しくはこちらに書きました。

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身の丈に合った生き方を選ぶことで、やるべきことが見えてくる

確かに生まれ育ちはサイアクです。自分のいいところなんてひとかけらも認めてくれない毒親のもとに、おそらく発達障害者としてうまれました。

 

不得意なことが多すぎて、生きづらいです。

 

けれどもそれが現実。

 

現実を認めると、やるべきことが見えてきます。

足らないものがわかってきます。

 

 

 

カレーが作りたいとしましょう。

にんじん、玉ねぎ、じゃがいも、肉はある。

 

でも、カレールウがありません。カレー粉もありません。

 

あなたはカレールウやカレー粉がないのに、カレーを作ろうとする。でもできない。苦しい。なぜできないのかと悩む。

 

無理ですよね、どう考えても。

 

 

 

ありのままの自分を認めないというのはそういうことです。

 

 

 

大丈夫。

 

世の中はとても広くて、ありのままのあなたの良さをわかってないのは、あなたに過度に期待しすぎたり、あなたらしくないことを強制し続けてきた両親くらいです。

 

案外、世間のほうが優しかったりします。そういう意味では。 

 

 

カレールウが無いなら、買いに行けばいいんです。

カレールウが売り切れなら、肉じゃがをつくればいいんです。

 

 

まとめ

 

どうだったでしょうか。

最後カレーの話になりましたが、そういうことです。

 

カレールウが無いので、買いに行ったり肉じゃがに変更したりすることが、

 

言うなれば「正しい努力」です。